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福岡大会 その6
 昨年11月に開催された大村はま記念国語教育の会研究大会【福岡大会】に参加した若い大学院生に、感想を寄せていただいた。

「生きたことばがもつ力」 
                   福岡教育大学大学院 岩崎 勇太
 

 昨年の11月23日に開催された大村はま記念国語教育の会研究大会は、私にとって感動と学びとに満ちたものでした。以前から憧れを抱いていた先生方や現場の最前線でご活躍される先生方のご発表を拝聴し、多くのことを学ばせて頂きました。

 私自身はこれまで大村先生についてとても不勉強で、今学会に臨むにあたって苅谷夏子さんの『評伝大村はま』『優劣のかなたに 大村はま60のことば』から大村先生の人生と実践の一端とを学ばせて頂きました。そこに描かれた大村先生は、それまで私が知っていた栄光に満ちた実践家としてだけではなく、時代や環境や何より自分自身とたたかう人として生きておられました。

 私はこれまで、大村先生があれほどの実践を残すことができたのは、教育現場が今ほどは慌ただしくない時代の中で、優れた実践家としてそれ相応の環境を与えられたからこそ可能だったのではないかと考えていたところがありました。無論そういう面も全くなかったわけではないでしょうが、そういったものが全く問題にならないくらい、大村先生の進まれる道には多くの障害があったということを知りました。そして、大村先生はそれらとたたかい乗り越えただひたすらに「ことばを育て 人を育て」る喜びを追求しておられました。今日の教師をとりまく状況に悲観的になるばかりの自分がとても小さなものに思えました。

 学会が終ったあと、苅谷さんとお話しする機会を得ることができました。目を開かされるようなお話はいくつもありましたが、中でも特に私の心に深くしみわたったお言葉があります。
 私は苅谷さんに、「話し言葉を磨くためにはどのようなことをすればよいでしょうか」という趣旨のことをお尋ねしたのですが、それに対して苅谷さんは大村先生が取り組んでおられたことをいくつかご紹介してくださり、最後に次のようなことを話してくださいました。
 「話をするとき、自分の中に最初に出てきたことばをぐっと飲み込む。そうすると、ことばが息を吹き返しますよ。」
 「ことばが息を吹き返す」―このことばを聞いて、私は目の前にあった霧が晴れていくような感じを覚えました。

 私たちは自己の内面をしっかりととらえ、その価値を認めることで、はじめて心の安らぎを得ることが出来ると思います。私たちが暮らす社会はいつからか、そういった個人の内面の多様さを許さない程、客観的な基準が絶対化されています。そしてこのような時代の病は私たちが向き合う子どもたちをも確実に蝕んでいます。この病を克服するのは、私たちが自分自身のまた他者の心の本当のありさまをとらえようとするときに生まれる〈生きたことば〉の他にないような気がします。

 「ことばは人そのもの」―大村先生は生前そのようにおっしゃっていたそうです。このことばが意味するところは、今日の教育現場においてますますその重みを増してきているように思います。
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by ohmurakokugo | 2012-07-06 15:32
福岡大会 その3
大村はま記念国語教育の会 研究大会

       【福岡大会】



午後の実践研究発表は左の三人の方であった。
①飯盛直子(佐賀市立循誘小学校教諭)
   「言語感覚を伸ばす単元学習の試み」
②末成妙子(山口県立下関総合支援学校教諭)   
   「聞こえにくい子どもたちへのことばの指導―音楽教育の立場からー」
③井上孝志(福岡県立東筑高等学校教諭)
   「漢文の世界にひたる学習指導の一工夫―単元『老子』と語る、理想の社会―」

①飯盛直子教諭は、小一~中三までの「ふるさと単元」の教材開発を試み、小学校と中学校とがなだらかに結びつくカリキュラムを考案された。

②末成妙子教諭は、聞こえにくい子どもたちに音楽の楽しさを伝えるために、発音誘導サインを通して、発語練習を試みた歩みを報告された。これは私たち国語教師こそ学ばなければならないことであった。全国の特別支援児童生徒の音楽コンクールで金賞二回、銀賞二回受賞されたのも当然と思える。熱意あふれる発表であった。

③井上孝志教諭は、『老子』全八一章を読み直して一七章を選び出し、老子が何を評価しているのかをとらえた後、現代日本とは全く正反対の「小国寡民」というあり方を提案する老子に疑問を提出し、自ら老子になりかわって答え、小論文にさせるという単元構想を提案された。教師が教科書のもとになっている原典を自力で研究しておくと、授業が清新さを帯びてくる一典型と思われた。

 筑後地区で力を尽くしている平河力氏(みやま市立瀬高中教頭)の司会で、三人の発表者の思いが引き出される質疑応答になった。
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by ohmurakokugo | 2012-06-15 17:10
大村はまのことば ―教師と研究―
  私はまた、「研究」をしない教師は「先生」ではないと思います。まあ、今ではいくらか寛大になって、毎日でなくてもいいかもしれないとも思ったりしますが…。とにかく、「研究」ということから離れてしまった人というのは、私は、年が20幾つかであったとしても、もう年寄りだと思います。つまり、前進しようという気持ちがないわけですから。それに、研究ということは苦しいことです。ほんの少し喜びがあって、あとは全部苦しみです。その喜びは、かけがえのない貴重なものですが。
 研究ということは「伸びたい」という気持ちがたくさんあって、それに燃えないとできないことです。少しでも忙しければ、すぐおるすになってしまいます。なぜ、研究をしない教師は「先生」と思わないかと申しますと、子どもというのは、「身の程知らずに伸びたい人」のことだと思うからです。いくつであっても、伸びたくて、伸びたくて…、学力がなくて頭も悪くてという人も、伸びたいという精神においては、みな同じだと思います。一歩でも前進したくてたまらないのです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている、その塊が子どもたちなのです。勉強するその苦しみと喜びのただ中に生きているのが子どもたちなのです。研究している教師は、その子どもたちと同じ世界にいます。研究をせず、子どもと同じ世界にいない教師は、まず「先生」としては失格だと思います。子どもと同じ世界にいたければ、精神修養なんかではとてもだめで、自分が研究しつづけていなければなりません。
                              
                           『教えるということ』より

 福岡大会まであと2日!
  詳細は下の記事をごらんください。
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by ohmurakokugo | 2011-11-21 20:19
福岡大会目前
いよいよ11月23日(水・勤労感謝の日)は、大村はま記念国語教育の会 平成23年度研究大会・福岡大会(於・福岡教育大学)の日。

着々と準備が進んでいる。さまざまな角度から、大村はまの思想と実践が照らし出される。小中高教員の実践発表からも、多くのことを考える契機が得られるにちがいない。詳細は下記をごらんいただきたい。

福岡大会を前に、今年6月に開かれた埼玉の国語教育研究会に参加した会員の感想を掲載する。忙しい毎日の中で、時間をやりくりして、家族に詫びをいいながら、疲れた体を励ますようにして、研究会に駆けつける、その良さ…手応え、高揚、自省や奮起など…が、文字になって現れていると思う。

          ぜひ、来週は福岡大会へ!

言葉の力を自覚して                     新座市立片山小学校 石川 周
 六月十一日、本会が、毎年と同じように今年も開催された。被災地を想うとき、自分が出来ることは、何事も全力で取り組もうと思う。例年、多くの学びがあり、実践への意欲をかき立てられる。とりわけ「今年」は、私の中の学びとろうとする本気度が、一段と高まっているのを感じた。
 「活用」という言葉が、様々な場所で飛び交っている。そういう私の勤務校でも「活用」をテーマとして研究を進めている。そんな私の心に、中村敏男先生が中学校の提案のご指導の中での言葉が留まった。「…系統性と言っても一つの指導の中でしっかりと学習内容が定着していなければ次に積み重なっていかないわけで活用のしようもないわけです。その学習指導の中でどういう国語の力をつけたのか、学習内容が定着したのかということを授業者がしっかりと見届ける手立てを学習指導の中で構築していかなくては前提が成り立たない。」これは、当たり前のことかもしれない。しかし、私は自実践をふり返り、非常に曖昧さを含んだ実践をしていることに、改めて気づかされた。この曖昧さを払拭するためには、一単元でつけたい力を明確にし、見届けていくのはもちろん、学期間のつながりや一年間での計画を明確にしながら取り組まなければ、子どもたちが自覚的に言葉の力をつけていくのは難しい、いや無理だと感じた。続けて中村先生は、「見通し」をもたせ、「ふり返らせる」ことを強調された。私にはそのことがまさに、子どもが自覚的に言葉の力をつけていくためのシステムだとも聞こえるようであった。
 「自覚化」した言葉の担い手を育成するという点では、山下直先生の話が繋がった。高校の提案のご指導の中で、「レトリックは形、対句とかいうけれども、先ほど指摘があったように形だけではなくて、その奥にあるものをわかりやすく示すものとして私達の中で機能しているのだということを知るということが、単なる対句だけでなくて認識を表現するということに対する視点を生徒にもたせることにつながっていき、それがきっと書く力のほうに・・・」という話があった。子どもに言葉の力をつけるためには、どんな言葉の力がついたのか自覚させ、新しい問題に出会ったときでも、再生可能な「視点」を子どもの中に構築することだと感じることができた。
 昨年度、「大造じいさんとガン」を扱った単元を通して、情景に着目して登場人物の心情を読み取る力を身につけさせる実践に取り組んだ。それまで本学級の児童は、情景をただの風景ととらえる児童がほとんであり、情景が登場人物の心情を表しているとは思わなかった。しかし、この学習を通して、情景が心情を表しているという「視点」を身につけることができた。そして本年度四月「カレーライス」という文学教材を扱った時の事、ある児童が、本文の最後の文について、「先生、これ情景だよね。」と指摘した。その言葉は、学級全体で自然に広がり、既習のこととして、皆に共有された。中村、山下、両先生のお話は、まさしく私の実践を確かにして下さったような、心から頷ける内容であった。
また、証言の内海先生のお話の中で、「大村先生は、わたしたちに社会で生きる力をつけなければならないという使命感を持ち、接していただいた。大村先生の手びきはわたしたちにとって、社会への導きのように感じた。」ということをお話された。生きる力を身につけるということは、言葉の力を身につけることであり、ありとあらゆることが手びきとなったのではないかと感じた。苅谷先生からは、「てびきを枠と考える人がいる。そういう時、『枠』というとマイナスのイメージしかないかもしれないが、ある種のスタイルを教えてもらったと感じる。様々に具体的なスタイルが身についた感覚がある」というお話があった。まさに、手びきは言葉の力を自覚的にとらえるものであり、スタイルという言葉が私の中に印象深く残った。実際、子どもの手を引くものとして私なりに手びきをつくっている。しかし、うまくいかない。広く一般に役立てるものとはわけがちがうようだ。ある一人の子を想定して作ってみると、なんだか、アイデアが浮かんでくる。手びきとはそのようなものであるのかもしれない。
 水戸部先生は、『国語教室の実際』の中の「目的をもって読むこと」について言及され、演習を通してそのことの重要性を説かれた。目的をもって読ませることは、言葉の力をつけることができるかどうかの分かれ目であるということが印象深く心に残った。
 本研究会を通して、子どもたちに言葉の力をつけることのおもしろさと難しさを同時に感じることができた。子どもが言葉の力を自覚するということは、教師がつけたい力を明確にもち指導することと言える。明日からの私の国語教室においても、子どもたちが言葉の力を自覚できるよう、全力で授業に臨みたいと心から思える会であった。
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by ohmurakokugo | 2011-11-16 18:40
福岡大会 迫る
福岡大会に飛んでいこう

 本会大会としては初めての九州、と楽しみにしていた11月23日が近づいてきた。こぞって福岡を目指そう。
 準備の都合上、期日(11月4日)までに参加お申し込みを。お近くのご友人・ご同僚をお誘いになってはいかがだろうか。大会で学ぶことの価値は言うまでもないが、懇親会での交流の豊かさも味わっていただきたい。

 大村はま記念国語教育の会
   平成23年度大会【福岡大会】概要



期日 11月23日(水・勤労感謝の日)
会場  福岡教育大学附属教育実践総合センター
午前の部(受付開始・10時、開会・10時25分)
 開会行事
 研究1 苅谷夏子
 研究2 村井万里子
午後の部・本会総会 13時~
 実践研究発表 協議(飯盛直子・末成妙子・井上孝志)
 研究3 橋本暢夫
 講演  野地潤家
 展望  安居總子
 お礼のことば 前田眞證
参加費・2000円
懇親会・福岡教育大学生協食堂にて。別途参加費。

お問い合わせ 
委員長  前田眞證 0940(35)1278
事務担当 河野智文 0940(35)1281
     kawanot@fukuoka-edu.ac.jp

福岡大会を二か月後に控えて     
            大会実行委員長   前田 眞證 
第7回大村はま記念国語教育の会福岡大会が、11月23日(水)、勤労感謝の日に福岡教育大学で開かれます。あと二か月に迫りました。こちらの準備にも、幾分必死さがにじむようになりました。
 大村はま先生…私のように、大村はま先生の著書・論文、そして全集があったからこそ、中学校・高等学校の国語科教育法について、大学で講じることのできた人間には、格別の思いが湧きます。そして、大村はま先生に対する敬愛の念は、研究すればするほど大きなものになってきています。もっと大村はま先生の国語教育実践に迫りたいという願いは、いっそう強くなっています。
 むろん、大村はま先生の国語単元学習の意義は一朝一夕に理解できるものではありません。何百人という学者が数代かけて少しずつわかってくるという代物(しろもの)でしょう。しかも、大村はま先生の全実践、残された二千冊の国語学習記録は、研究するにしても、実践者として学ぶにしても、私たちに生涯をかけるか否かを迫る迫力に満ちています。
 大村はま先生がそのような存在であるだけに、私たち大村はま先生の謦咳に接した人間の責任もまた重いと言わなければなりません。大村はま先生の声も聞いたことがなく、授業を参観する機会にも恵まれなかった人たちに、大村はま実践がいかに私たちの国語教師としての人生を支えるものに満ちていたかを、自覚してもらう必要があります。そのためにも、まず私たち自身が大村はま先生の国語教育実践から普遍的なものを次々に発見しなければなりません。
 しかし、その道のいかに遠いことか。拙著『話しことば教育実践学の構築』(平成一六年刊)を書いているとき、大村はま先生の討議力の指導についてはあと10年すればかなり近づけるという思いを持てたものの、応答力・質疑力の指導においてはあと20年、発表力の指導についてはあと40年かけても近づけるかどうかという嘆声が消えませんでした。それでも、公刊した年の大晦日には、大村はま先生ご自身が、この書の礼状代わりにお電話をくださったのです。代わりに出た妻に、「いい本を出されましたね」と、おほめの言葉を下さったそうです。「少しわかりかけてきたわね。」ということだったのでしょう。
 私たちがほんの少しでもわかれば、大村はま先生は心から喜んで下さるのです。ですから、私たちは謙虚に一つずつ発見していき、実践によって確かめていけばよいのでしょう。この福岡大会も、そうした小さな発見を積み重ねる場になればと願っています。
 大村はま先生の名前を冠する会を開かせていただくことは、重荷にならないと言えば嘘になります。しかし、大村はま先生は、私たちがむしろ伸び伸びと、存分に発表し、少しでも児童・生徒のためになればよいと思われているでしょう。発表者も、発表題目も決まりました。遠方からおいでいただく県外の先生方を大歓迎するのはもちろんのこと、福岡県内や近県から来て下さることも、何よりの励みになります。先生方にお会いできることを心待ちにしております。
                  
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by ohmurakokugo | 2011-10-13 13:31
  

大村はま記念国語教育の会のネット版会報。国語教師・大村はまについて、知り、考え、試し、自分の力にしたいと集まった会。ご入会を歓迎します。お問い合わせは hokokugo@gmail.com まで。
by ohmurakokugo
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