大村はまのことば  ―聞き手を育てる―



 話を聞いている間は、あとで何を言おうかと心配したり、とくに、あら探し的な心の動かし型をせず、ゆったりと聞き入るようにさせたいと思う。心から聞かせたいと思う。そういう聞き手が多くてこそ話し手の成長もあると思う。よい聞き手を育てることは、よい話し手を育てるために必須のことである。






大村はま記念国語教育の会への
          ご入会を歓迎します

 年会費は4000円(入会金不要)。 年一回の研究大会を開催。そのほか小さな研究会も随時各地で開催しています。会報「はまかぜ」を年3回発行。研究会の記録、お知らせ、会員による大村研究、実践記録、大村はまや国語教育などにまつわるエッセイなどを掲載。
関心をお持ちの方は下記の本会事務局までご連絡を。

  大村はま記念国語教育の会事務局
     hokokugo@gmail.com    

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# by ohmurakokugo | 2012-07-10 16:43
大村はまのことば 37
評価について

 評価は大事。評価についての考え方が変われば、教室が変わるでしょう。

 (テストの)点数が悪いと騒ぐけれども、これはほんとうに力を測ることのできる問題なのか。たとえば、鑑賞力みたいなものを、今行われているような形で試験できるものなのか、そういうことをきちんと議論して、方向を決めていくということがなくなったのではないでしょう。




 本年度の研究大会は
     「千葉大会」 
          2012年12月1日

      千葉市に集まろう

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# by ohmurakokugo | 2012-07-09 16:09
福岡大会 その7
ひきつづき、福岡大会の参加者の感想を。

〔感想〕大村はま記念福岡大会に学んだこと
             ―国語学習記録を中心に―
                     福岡教育大学初等国語 池田奈緒美
 

 「国語学習記録」のような学習記録を使った授業は、大学の様々な授業で行われている。学生である私も、分かりやすく綺麗なノートを作成するべく、授業後や学期末には必死になって取り組んでいる課題だ。そんな身近な題材の「国語学習記録」だが、私は今回、「大村はま記念国語教育の会研究大会」でそれには本当にたくさんの意図があることを知った。

 学習記録はただのノートとは違い、それだけで作った人の学習過程、身につけた力、考え方など全てを体現することができる。自分で授業を聞いて書き、考えてまた書く。主体的にならなければ決して良い学習記録は生まれない。それが板書ノートとは根本的に違うところだ。そうやって板書ノートとはくらべものにならないほど厚みも深みもある学習記録の全てに大村はま先生は一言二言心に響く言葉を書かれていたらしい。大学で作成し、提出した学習記録でも、先生から何か書いてあったら、自分の頑張りや取り組みが認められたようでうれしい。まして中学生だったらなおさらだろうと思う。また学習記録は子供の理解の実態をつかむことができるだろう。作文指導・表現の指導は子供の理解の実態をつかみ易く、私のような教師を目指す人には比較的取り組みやすいと大会で村井万里子先生が話された。私は、同時に学習記録も同じことが言えると思った。

 
 学習記録一つが、まとめる(構成する)力、思考を深める力、書く力を育てる事、教師と生徒が個別に対話する事、生徒の実態をつかむ事など、これらの意図が全てつぎ込まれたものだとは思わなかった。純粋に大村はま先生はどうやってこのような総合的に適した指導法を思いつかれたのか不思議に思う。
 

 これから教師を目指す上で、大村はま先生は最も尊敬すべき先生の一人だ。でも私は彼女に教わったことはなく、具体的にどうしたら良いか、想像がつかない。著書を読むだけでは指導法をまねしているだけで、子どもを見据えた授業の実態は見えないままだと思う。しかし、苅谷夏子さんをはじめとした大村はま先生に教わった人々の話を聞いてイメージを持つこと。今回のような様々な研究を知って知識を蓄え、私自身も考えること。そういう学びが私のような大村はま先生を実際に知らない学生にとっては重要だろう。今回のような大会は彼女を具体的に学ぶ大切な機会だった。こうやって大学生の時から彼女について触れ、学び重ねて、いつか私も大村はま先生のような子ども主体の授業を作れるような教師になりたいと改めて思った。
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# by ohmurakokugo | 2012-07-08 11:18
福岡大会 その6
 昨年11月に開催された大村はま記念国語教育の会研究大会【福岡大会】に参加した若い大学院生に、感想を寄せていただいた。

「生きたことばがもつ力」 
                   福岡教育大学大学院 岩崎 勇太
 

 昨年の11月23日に開催された大村はま記念国語教育の会研究大会は、私にとって感動と学びとに満ちたものでした。以前から憧れを抱いていた先生方や現場の最前線でご活躍される先生方のご発表を拝聴し、多くのことを学ばせて頂きました。

 私自身はこれまで大村先生についてとても不勉強で、今学会に臨むにあたって苅谷夏子さんの『評伝大村はま』『優劣のかなたに 大村はま60のことば』から大村先生の人生と実践の一端とを学ばせて頂きました。そこに描かれた大村先生は、それまで私が知っていた栄光に満ちた実践家としてだけではなく、時代や環境や何より自分自身とたたかう人として生きておられました。

 私はこれまで、大村先生があれほどの実践を残すことができたのは、教育現場が今ほどは慌ただしくない時代の中で、優れた実践家としてそれ相応の環境を与えられたからこそ可能だったのではないかと考えていたところがありました。無論そういう面も全くなかったわけではないでしょうが、そういったものが全く問題にならないくらい、大村先生の進まれる道には多くの障害があったということを知りました。そして、大村先生はそれらとたたかい乗り越えただひたすらに「ことばを育て 人を育て」る喜びを追求しておられました。今日の教師をとりまく状況に悲観的になるばかりの自分がとても小さなものに思えました。

 学会が終ったあと、苅谷さんとお話しする機会を得ることができました。目を開かされるようなお話はいくつもありましたが、中でも特に私の心に深くしみわたったお言葉があります。
 私は苅谷さんに、「話し言葉を磨くためにはどのようなことをすればよいでしょうか」という趣旨のことをお尋ねしたのですが、それに対して苅谷さんは大村先生が取り組んでおられたことをいくつかご紹介してくださり、最後に次のようなことを話してくださいました。
 「話をするとき、自分の中に最初に出てきたことばをぐっと飲み込む。そうすると、ことばが息を吹き返しますよ。」
 「ことばが息を吹き返す」―このことばを聞いて、私は目の前にあった霧が晴れていくような感じを覚えました。

 私たちは自己の内面をしっかりととらえ、その価値を認めることで、はじめて心の安らぎを得ることが出来ると思います。私たちが暮らす社会はいつからか、そういった個人の内面の多様さを許さない程、客観的な基準が絶対化されています。そしてこのような時代の病は私たちが向き合う子どもたちをも確実に蝕んでいます。この病を克服するのは、私たちが自分自身のまた他者の心の本当のありさまをとらえようとするときに生まれる〈生きたことば〉の他にないような気がします。

 「ことばは人そのもの」―大村先生は生前そのようにおっしゃっていたそうです。このことばが意味するところは、今日の教育現場においてますますその重みを増してきているように思います。
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# by ohmurakokugo | 2012-07-06 15:32
福岡大会 その5
大村はま記念国語教育の会 研究大会
    【福岡大会】


〔講演〕
大村はま先生の歩まれた道
            野地 潤家

 大村はま先生がご退職されてまもなく送って下さった「私の単元学習の歩み メモ」(昭和五五年五月三日の日付がある。全集第一巻「私の研究授業一覧」のもとになったもの。)には、ご自身の国語単元学習への取り組みが克明に記されている。この記録(資料)は、私たちがこれから次々に新しい工夫をしていくことができる礎となっている。

 大空社のビデオ「大村はま創造の世界」の付録『大村はまアルバム』には、18の珠玉のことばが記されている。この選択に相談に乗ったこともあって、紹介させていただく。(一部略)

①ことばを育てることは/こころを育てること/人を育てること/教育そのものである。
②話しことばは、そのひびきのなかにこそ、その人の心をきく。
③一つのことばを知ることは一つの人生を知ること。
⑤「努力すれば、どんなことでもできる」そういうふうな言い方は、人間や人生の真実が見えていないんだな、と思います。
⑥子供にとって/何が幸せといって/一人でしっかり生きていける人間に/育てられることぐらい/幸せなことはない(以下略)
⑦たくさんのむだをしなければ、/ひとつの玉を拾うことはできないのです。
⑧「しかられ上手」というとおかしいかもしれませんが、いろいろなことをズバリと言っていただきやすい自分になっていること。
⑨優れたこどももいる、まだそれほどでもない子どももいて、どの子もその子なりの成長をしている。(中略)(優劣を)忘れて一生懸命やっていくところに救いがある。
⑭みんながみんな、自分の力のいっぱいに、安心して、焦らず、努めている姿。
⑮ありあわせ、持ち合わせの力で授業をしないことです。何かを加えて教室に入り、何かを得て教室を出る(ように)。
⑯深い感動があるからといって、それがそのとおりに人に言えるというものではない。
⑱「先生」そう呼ばれるのに足りるだけの人に。/「教え方」、「教え方」というが、「何」を教えるのか、その「何」がなければどう教えてもだめなのではないか。

次に苅谷夏子氏の『優劣のかなたにー大村はま六〇のことばー』(筑摩書房)から一部紹介したい。

○話しことばの世界にどういう自己開発の瞬間があるかを悟らせたい。
 話し合いは、ただの形式的な手続きではない。生きた人と人とが貴重な生命の一こまを使って打ち合っている時に、不思議な科学反応のようなものが一瞬起こって、一人でどんなに考えても出て来なかったなにかが、生まれてくる。それゆえ、一刻一刻変化していく話し合いの中で自らの考えを変化させながら、話し合いに積極的に参加するよう誘っていく。
○話し合いは悪い癖がつくと盛り返すことが不可能になる。テーマは線の太いものがよい。かげやくもりがなく、全員が異なる意見を持てるものがよい。たとえば、幾分平易な「短編に副題をつける、案を一人一つずつ出し、その中からよさそうなものを絞りこむ」などがよい。そして、黙っていられないという雰囲気をつくっていく。

最後に、『大村はま先生に学びて』(広島大学国語教育研究室、復刻版は渓水社)から府立高女で教わった山形静枝さんの「一番好きだった大村先生の国語」を掲げる。
「時間のはじめに、さあ、これからと思うと胸がふくらむようでした。引き締まった教室の空気の中を落ち着いた先生のお声が流れるー。そして、黒板には、今も目に残るきれいな白黒の文字、熱心で巧みな授業に流れにのって、ぐんぐんとその課の内容にひき込まれてゆく・・・。一時間が終わるごとに、私は何かがぎっしり胸の中に満ちるような気持ちでした。(中略)感じ易い年代に、本気で、これほど素直に人のことばを受け入れる体験をもたせていただいたことは、得がたい幸せと思っております。」

大村はま先生の歩まれた道には、私たち国語教育に携わる者の永遠に学んでいくべき実践と提言があふれている。    (文責・前田眞証)
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# by ohmurakokugo | 2012-06-23 20:19
  

大村はま記念国語教育の会のネット版会報。国語教師・大村はまについて、知り、考え、試し、自分の力にしたいと集まった会。ご入会を歓迎します。お問い合わせは hokokugo@gmail.com まで。
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