埼玉大会に寄せられた感想
 埼玉大会参加者からの感想は、これまでも2度お伝えしたが、最後にもう一通、掲載したい。
 
     点と点がつながる            
                   八潮市立八幡小学校 櫛引 千恵 

 点と点がつながる。大村はま先生の会には、そんな愉しさがある。
 大会当日、私は、続行中の単元「物語の感想をためてまとめて伝えよう!~一年後の自分へ」で、物語の感想をどうまとめさせるか思案中だった。 証言「元生徒が語る大村教室」で、「書き出し」が話題になった。
 「必ず、先生が書き出しをいくつも与えてくださっていました。それは、十くらいもあったかと思います。それを使ってもよいし、自分のオリジナルで書いてもよい。子ども達は、まず、それを読んで、何とかしてそれは使わないようにしたい、オリジナルで書いてみたいと思う。そういうところに先生は、見えない手を差し伸べてくださったということを感じます。」
( そうか。)と思った。帰宅してから、大村先生のご著書を開いてみた。
 「他の子どもが書けたけれども自分は書けない。そんな苦しみをしている子を助けなくてよろしいんですか。書き出しを少し書いてやったらどうですか。」(『教えるということ』)
 『教室を生き生きと1』にも、書き出し文による指導の例が書かれていた。
 早速、書き出し文の手引きと「手引きを使って書いたら・・・」という感想文の例を書いたプリントを作成した。明日の授業は、これで行こうと思った。児童は、書き出しの例から書き出しを選び、ノートにためた自分の感想をつなげて書き進めることができた。大村先生が教えて下さっていることと、自分の実践がつながった。
もう一つ。 
私の中では、藤原正彦氏から藤原てい氏へ、それから新田次郎氏、藤原咲子氏へと、点は既につながっていた。『国家の品格』『祖国とは国語』がブームになった頃である。
 『若き数学者のアメリカ』の中の正彦さんが愉快で、正彦さんを育てた母の藤原ていさんという人を知りたくなった。「藤原正彦氏を育てた母の半世紀」という帯が付いた『旅路』、『流れる星は生きている』を読み、そのていさんの強さに驚き、惹かれた。そして、正彦さんも咲子さんもこの母のこの強さで守られ、日本に辿り着くまでの凄絶な道のりを乗り越えてきたのだと感慨深かった。
 その後、私の読書は、咲子さんの『父への恋文』『母への詫び状』と続いた。新田次郎さんを父に持つこと、『流れる星は生きている』の「咲子ちゃん」は、どのように成長し、今、父、母にどのような思いを抱いているのかを知りたかった。小学校四年生の頃から、新田次郎さんの文章指導を受けていたという咲子さんの書く文章。そのリズム感に引かれながらページを繰っていった。咲子さんの苦悩、「恋文」「詫び状」に込められた思いを知り、「藤原一家」への憧憬が一層深まった。
今年の埼玉大会で、藤原咲子氏のご講演が予定されていると聞くや、胸が躍った。しばらくして、大会の案内文書から、ご講演の演題を知った。「母、藤原ていと大村先生との心の交流」
驚いた。あの藤原ていさんが大村先生の教え子だったとは!ていさんの自信と強さの根底に、作家、ていさんの文章力の根底に、大村先生がいらっしゃった!大村先生と藤原ていさんが、つながった瞬間である。ご講演で、藤原咲子氏は、
「大村先生の赤ペンは、ポエムです。」
と、ていさんの書いた文章に入れられた大村先生の赤ペンのコメントを紹介してくださった。
ご講演は、音楽を聴いているような心地よさがあった。その終盤に、ていさんが七十才後半から病気になったことを話された。ていさんに、
「大村はま先生が、『がんばれ、がんばれ。』っ て言ってるよ。」
と言うと、顔を赤らめられるとのこと。どれだけ、大村先生の一言一言が、日々のご指導がていさんの力の源になっていたかがよく分かる。
「九十才になっても、○○先生と名前を聞いたら、 頬を赤らめる、そんな生徒の先生になってくだ さい。」
とご講演を閉じられた。
 大村はま先生の教えてくださっていることが、点にさえなっていないことがまだまだ多いことに改めて気付かされる。かつて、一通り読んだと思っていた『教えるということ』『教室を生き生きと1~3』。読み直してみれば、教室のどの一人一人にも力を付けるためのヒントが詰まっている。もう一度、一人一人に力を付けるという視点で読み直し、点にしていくこと。そして、実践とつなげていくこと。これが、私の課題である。

大村はま記念国語教育の会への
          ご入会を歓迎します

 年会費は4000円(入会金不要)。 年一回の研究大会を開催。そのほか小さな研究会も随時各地で開催しています。会報「はまかぜ」を年3回発行。研究会の記録、お知らせ、会員による大村研究、実践記録、大村はまや国語教育などにまつわるエッセイなどを掲載。
関心をお持ちの方は下記の本会事務局までご連絡を。

大村はま記念国語教育の会事務局
 hokokugo@gmail.com      
 
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# by ohmurakokugo | 2011-01-24 17:12
埼玉大会 理事長による展望
 昨年11月13日に行われた「大村はま記念国語教育の会 第6回研究発表大会
 ―埼玉大会―」の報告も、いよいよ終盤です。今日は、安居總子・本会理事長による「展望」の概略をお伝えします。

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  展     望
                            本会理事長 安居 總子


 大村先生から学ぶもの、今日は二つ挙げたい。
 まず大村先生の遺されたものが、大村先生から教えを受けた人達の言葉の中に生きていて、それが今日はいろいろな形で示された。例えば苅谷夏子さんが大村先生の本からいくつもの言葉を選び出して、その言葉を元にしながら、評伝という形にまとめられたという中にも生きている。しかし、時が経つにつれて薄れていくことを恐れる。今それを伝えることは大事なことだと私は実感している。大村はま記念国語教室の会では、今年も大きな成果をもたらしたと思う。
 もう一つは、国語教室を持っているものとして考えなければならない問題があるということ。単元学習とは、先ず、目の前にいる学習者をしっかりとらえ、その学習者にどのような力を育てたいかを特定し、そのためにどのような学習材と言語活動で学習を成立させ、どのような流れで授業を展開していくかを考える。「初めに教材ありき」ではない。学習者の学習指導計画の中に、目標決定があり、そこでどのような言語経験や言語活動をし、ふさわしい学習材の選定があって、それらは全て私たち一人一人の教師の責任にあり、教師の力である。
 そういうことを考えたときに、例えば大村はま国語教室の中の単元一つをとりあげて、この単元はどういう学習材で、どんな言語活動をして、どう学習が流れて、どこで子供を見て、評価してということをする。最近は、一つの単元を成功させるために、(そこで子供達に本当に力がつくために)その前にはどのような学習があったのか、そしてそれは後のどのような学習につながっていくのかというカリキュラムの問題として考えられるようになってきている。それから『評伝』、あるいは苅谷さん、羽島さん、内海さんのお話の中にもありますが、書くということ、創造性ということ、何かを創造していくというときにどういう学習があるのかということ、そういう目で一つ単元を見てみよう、創造の目はどこに隠されているのだろう。探るということを私たちは教わったように思う。
 それにも増して、子供を本気にさせる。国語が嫌いでない、好きになることが回りだすきっかけは何なのだろうという視点から各単元を見ていくということも重要だろう。そういうことが何回か連続して大村はま記念国語教室の会で語られ、ある程度、研究も含めて物の見方、考え方に裏付けられて語られ始めたということは非常に嬉しく思う。
 今、生きる力を育てるために、課題を見出し、解決する能力とか、他者や自然環境と通じ合う力とか、ツールを使いこなす力とかということがいわれている。大村単元学習の中のいろいろな活動との組み合わせ、生活との組み合わせ、言葉との組み合わせでこれをもっと私達は大事にしたい。大村はまの教育実践の少なくとも文字化されているものの中から更に私達はそれをどう拾い、将来につなげていくのかが大きな課題だ。
 今日はこの会を企画してくださいました南部国語の会の長年続いている研究組織とメンバーの方たち、その人達の大変な力で大きな会が持たれたことに感謝したい。これからもこの会が新たな形で発展していくことを望む。来年は福岡で行われることになる。来年また福岡で皆さんとお会いしたい。本当に豊かな心になって帰れることを感謝して終わりたい。
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# by ohmurakokugo | 2011-01-23 22:05
埼玉大会 野地潤家 広島大学名誉教授のご講演から
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講演3   源泉としての大村国語教室
         広島大学名誉教授 野地 潤家

 
私が大村はま先生に直接ご指導をいただけるようになったきっかけは、広島の高等師範学校の国語科の卒業生が東京で教師になり、目黒八中での大村先生のお仕事を知らせてくれたことだった。私はすぐに上京して先生の授業を参観した。
 その後、広島大学の教育学部からのペスタロッチ賞をお受けになった後、広島で国語研究会開催の企画が持ち上がり、ぜひ大村先生をお呼びしたいということになった。大村先生は「ふだんはチョークの粉にまみれて授業をしている身です」と、現場実践者としてこの研究会に来たということをお述べになった。じっくりと日頃携わっている中学校の実践研究について流暢によどみなく進められ、集まっていた人たちは深い感動に包まれた。それから毎年十二月初旬の土日を使って実践研究会が開かれ、ご講演をいただくようになった。また、私が実践発表者に助言指導すると、その助言の未熟なところ、つたないところを的確に指導され、大学院で専門の授業科目の研究についてのご指導をいただいているような思いがした。四十年近くの中で、今日の助言はよかったですよと言っていただけたのは一回だけだった。
 先生が還暦近くになられた頃には、記念にという気持ちを込めて諏訪高等女学校、都立第八高女、深川一中をはじめとする新制中学校の卒業生の人達、大村先生の指導を受けた人達に当り、文章を募った。文集「大村先生に学びて」(のち渓水社)として、当時の大村先生の授業、それによって鍛えられたこと、思い出に深く残っていることを皆さん書いてくださった。
 昭和二十年代の終わり頃、母校の広島大学に帰っていました私に、人手が足りないので中学校の方を助けて欲しいと指導依頼が来たので出向いた。大村先生にそのことをご報告すると、途端に先生の表情が険しくなり、すぐにお辞めになったらどうですかとおっしゃった。長くご指導をいただいてきた年月の中で、あれだけ厳しい言葉をいただいたのは後にも先にもその時だけだった。自分の本職は教育学部に別にあるのに、頼まれたからといって中学校に授業に来るという心構えがしっかりしていないのではないかと厳しく諭されたのだと思う。目黒八中、紅葉川中、文海中、石川台中に臨んでおられた心持ちそのものをおっしゃっていたと思う。


(1) 大村先生の実践は「大村はま国語教室」全十五巻・別巻一にまとめられている。生涯をかけて中学校の国語教育の実践指導に当たられ、ほとんど大事なことを網羅してできましたものがこの全集七千四百ページ。明けても暮れても一所懸命、授業に打ち込んで、そういうことが行われた。
(2)「大村はま自叙伝 学びひたりて」(共文社)「私が歩いた道」(筑摩書房)を読むと、大村はま先生が学ぶということをどういうふうになさったのかということを辿っていくことができる。一瞬の油断もなく、克明に、気乗りしない、仕方なくではなく、どういう場合も積極的に学ぶ姿勢を保持して進んでいかれている。教えるということの前に学ぶということがあったのだということを改めて思わずにはいられない。
(3) 大空社から出ました「大村はまアルバム」に、にも選りすぐりのことばが集められている。
(4) 『教えるということ』(共文社)は、目次を見るだけでも、「教師の資格」、「研究することは先生の資格」、「私は研究から離れませんでした」と重要なことがはっきりと見られる。「二十代のアイデアを大切に」、教職生活の二十代で得たアイデアは大切にしないといけない。後々まで生かしていけるアイデアが、次から次へと生まれてくるときですので、それを大事にしたい。
(5)教え子の苅谷夏子さんの『優劣のかなたに』は60のことばが八章に分けて取り出し、それについての解説が加えられている。『評伝』では、大村先生が「生涯一人の教師」として過ごされたことを、きめ細かに膨大な資料の中から選んで述べている。

大村先生は日本の国語教育を到達水準を踏まえたうえで、それを伸ばしていくように切り開いてくださった。その大村先生をどのようにして乗り越えていくか、一から十まで大村先生が取り組んでこられたことに心を寄せて、大村先生がよく頑張ったわねと言ってくださるような、さらに本格的なものをめざして取り組みをすることが、この研究会が果たす役割の一つではないかと思います。新しい国語教育の源泉として大村先生の実践が、いつまでも私たちを導き続けてくださるのではないかと思います。

大村はま記念国語教育の会への
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# by ohmurakokugo | 2011-01-21 21:00
埼玉大会 実践研究発表への桑原隆先生の指導
年をまたぐ格好でお伝えしてきた、小・中・校の実践研究発表の締めくくりは、桑原隆・早稲田大学教授のご指導だった。ご面倒でも画面を下へスクロールして、それぞれの発表内容を振り返ってから、この指導を読んでいただくことをおすすめしたい。考えたいいくつものことがらを、桑原先生は示してくださった。

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指導・桑原 隆 早稲田大学教授

 学習指導要領には小中高いずれも教材を選ぶ観点が書いてある。これはおそらく教科書会社向けに書いているわけではなくて、全て、国語の教師に向けて書いてあるのだろう。それから判断すると、我々教師は重要な観点を参考にしながら、教科書を中心にしながらも、どんどん教科書以外の教材を発掘しなさいという示唆だと理解できる。
 そのときに私は三つの観点から、教材やトピックを整理し考えるようにしている。一つは、グローバル、インターナショナルな観点からの教材。二つ目は、日本という国の中の教材、これは伝統的な言語文化に関わってくる。もう一つは学校が置かれている地域、ローカルな教材。
小学校の江利川先生の今日の提案は、トピックや教材は近くの浮野の里というローカルな視点を元にした単元と考えていい。こうしたローカルな視点は、もっとこれから単元を発掘できるのではないか。教科書には盛り込めない。
 高等学校の諸井先生はまさに伝統的な言語文化でナショナルな本物の教材の単元と言っていい。
 中学校の福田さんは、論理的な思考力を育てることで使ってきた教材が、米の自給自足の問題や地球規模での水ということ、その観点からしますと、私の分類からするとグローバルな巨視的な視野やインターナショナルな視野からの教材化研究と位置づけてもいい。

 江利川さんの単元の特徴は、苅谷さんから手紙が来たという一つの演出的な単元設定かも知れないが、子供がそれをきっかけに学習意欲を喚起され、学習に進んでいったという学習の実の場作りの一つだ。子供達は自然科学的な分野はだいたい目に留まる。ところが人文科学的分野は、なかなか子供のほうからは興味関心、話題が聞いても浮かんでこない。したがってそのへんは先生から誘ってあげる必要があるだろう。例えば浮野の里や埼玉県の地方に伝わる民話や昔話、伝説など。
学習過程の中でインタビューも取り入れ、出来上がった作品を苅谷さんに渡したり、他地域の小学生に送って読んでもらう報告もあった。一つの教室の中だけでなく、地域に住む人、年齢を超えた人との出会い、あるいはコミュニケーション、更には地域の小学生とのコミュニケーション、これは私自身の造語で「異間コミュニケーション」と呼んでいるが、そういうものがこれからの国語教室、あるいは言葉の力を伸ばす上で必要だろう。
 中学校の単元は短い時間で学習過程を十分に理解するには、もう少し時間が必要かと実感しました。情報を編集して伝えるという単元名、これがこの単元の目標であろう。雑誌の記事の教材と、情報を編集してその中身が更に事実と意見の区別や結論云々というのと、私の頭ではまだ結びつかない。この単元名で養おうとしている言葉の力と、教材との関係がもう一つ整理し切れていないところがある。
 高等学校の諸井先生の提案は、資料を読みながら圧倒された感じがする。私はずっと大学に席を置いてきたが、大学生相手に定点観測して聞くと、小中高で続けてきた国語科の魅力度はやはり低い。その低さは、まず、いつもある文章を出してそれを分析して教師の一問一答で答えるという繰り返しの授業。二つ目は、せっかく反応して発言したのに先生が切り捨てて、取り上げてくれなかった。これが意外と多い。三つ目は文語文法でつまずいてしまったという人がかなり多い。特に助動詞の文語文法でつまずいたという人はかなり多い。
 その中で、諸井先生の追跡文の速読演習、集団速読、そして追跡文の速読演習では、辞書を使わずに自力でというところに私は魅力を感じる。辞書とか文法を頼りにしてしまうけれども、文脈の力で意味を取っていく。次の段階で辞書や文法を使うという方法、この順序は私は共鳴した。大鏡の教科書教材にプラス追跡文として十一を用意されている。先生の教材化研究の意気込みが学習者の学習を大きく促しているように思う。生徒達は意欲的に取り組んでいたようだ。うまく発表内容を育ててけば、見事にこなしていけるのではないか。

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司会・中村 
 多くの方が挙手をされて、取り上げるべきご意見・ご質問が他にもたくさんあったかと思うが、時間の関係でそのすべてを取り上げるということができず、大変申し訳なく思っています。桑原先生のご指導はそれを補っていただけたと思います。それでは以上で授業実践の発表と協議の区切りを付けたいと思います。ありがとうございました。
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# by ohmurakokugo | 2011-01-15 21:23
埼玉大会続報 ―高校古典実践についての質疑
昨日掲載した諸井先生による古典の比べ読み・速読・プレゼンテーションの実践について、限られた時間ではあったが、フロアとの間で興味深いやりとりが行われた。

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小林國雄先生(国語教育学会常任理事)
 根拠を持ち、正しく速く内容をつかむ力というのは、今回のご発表は古典だったが、現代文にも必要だ。現代文の授業においても、こういう根拠を持ち、正しく速く内容をつかむ力を指導していらっしゃるかどうか。
 今から40年くらい前に岩淵悦太郎という先生が、中央教育審議会に、古典を現代文的に読むことが必要ではないかと言うことをおっしゃった。現代文においても、根拠を持ち、正しく速く内容をつかむ力は必要だと思う。先生がそのような指導を普段やっていらっしゃるかどうか伺いたい。

諸井 
 私の国語は、根拠を持って読むことに尽きるという感じだ。同じクラスを現代文でも担当しているが、この「根拠を持って読む」ということがなかなか生徒には難しい。古典にしろ現代文にしろ、根拠を持って正しく速く概要をつかむ力をつけること、これが今一番の目標。ある意味、受験のテクニックにもつながるが、受験にしろそうでないにしろ、言葉の力をつける時、ルールを意識化させることは、とても効果的で役立つ。

小林  
 根拠を持ち正しく早く概要をつかむ力というのは、常に比べ読み速読演習とプレゼンテーションとセットなのか。セットでないとしたらどう違うのか。具体的にAという評論文がBとCという比べ読みの教材、実践例を挙げてください。

諸井 
 残念ながら実践例といえるほどのものはない。
 今やっている教科書教材の評論は、1度に文章の全体像を見せたいので、B4にプリントし、それを大段落に区切らせる。その時に筆者の主張の流れを絶対手放さないという指示をする。これを「速読演習」として実践した。まず個人でやって、次に4人組のグループで持ち寄り、話し合って班としての大段落切りとその根拠を書いて提出させた。しかし、なかなか苦しい戦いをしている。ぜひヒントをいただけたらと思う。
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# by ohmurakokugo | 2011-01-13 19:18
  

大村はま記念国語教育の会のネット版会報。国語教師・大村はまについて、知り、考え、試し、自分の力にしたいと集まった会。ご入会を歓迎します。お問い合わせは hokokugo@gmail.com まで。
by ohmurakokugo
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