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大村はまのことば  9
 子どもたちは、自分の話が、ああ、あの話かと言われない話ができるのでなければ、積極的に口を開けるということはむずかしいのです。また、そういう話の種を自分が持っている場合は、こんどは、これは黙っていることがむずかしい。…みんなが話したいことを心からもつということ、これが私は話し合いをするときの第一歩だと思います。
                    『大村はまの国語教室』  小学館
# by ohmurakokugo | 2011-02-05 07:37
大村はまのことば  8
 子どものことというより、自分の身を振り返って考えたのですが、持っている「力」というのは使い切った時に伸びるもののようです。大してない力でも、ありったけ使うと、また、どこかから湧いてくるのではないか、誰かが哀れに思って賜るのではないかと私は思いますが、使い切らないことには湧いてこないようです。かわいそうになるほど、持っている力をみな使って途方にくれるようにすることが、次の力を得るもとになるようです。
        
                        『教室をいきいきと 1』 筑摩書房
# by ohmurakokugo | 2011-02-04 08:58
大村はまのことば  7
 兵十はどんな気持ちでしたでしょう、などというのは、言ってはいけないことばだと、私は思っています。聞くものではないのです。だって、書くとすれば、それは作者が一番上手に書いてしまっているから、何とも言われません。
 ・・・兵十の気持ちを、胸が痛いほどわからないせないと。味わわせなくてはいけないでしょう。鑑賞そのことをさせるのが教師ではないか。何もかも忘れて、兵十の気持ちに浸らせることだけはどうしてもしなくては、文学鑑賞の教室にはならないのではないですか。


    『教室をいきいきと 2』 筑摩書房
# by ohmurakokugo | 2011-02-03 16:54
大村はまのことば  6
 自分への自信を失ってしまったら文章なんて書けるものではありません。ある程度、自分を信じ、自分のをいいと思っているからこそ書いていけるんで、絶望してしまった子どもには文章なんて書けるものではないと思います。

                         『国語教室の実際』 共文社
# by ohmurakokugo | 2011-02-02 10:44
大村はまのことば  5
 書いていますと、「書く」という、このからだの一部を使って、こみいった、めんどうな線を組み合わせていく仕事が、ふしぎに、心を一点に集めます。また、一つの考えが、文字になって目にみえるものになりますと、その考えのいのちがはたらきだして、また、次の考えが引き出されてきます。そして、材木の中に、きりをもみこんでいくように、深みへ深みへと、考えが伸びていきます。どうかすると、自分のこころのどこにもなかったような、すばらしい考えが、鉛筆の先から生まれ出て、自分で自分の考えにうっとりしながらかみしめ直すようなことがあるでしょう。

                           『やさしい国語教室』 共文社
# by ohmurakokugo | 2011-02-01 19:05
  

大村はま記念国語教育の会のネット版会報。国語教師・大村はまについて、知り、考え、試し、自分の力にしたいと集まった会。ご入会を歓迎します。お問い合わせは hokokugo@gmail.com まで。
by ohmurakokugo