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福岡大会 その5
大村はま記念国語教育の会 研究大会
    【福岡大会】


〔講演〕
大村はま先生の歩まれた道
            野地 潤家

 大村はま先生がご退職されてまもなく送って下さった「私の単元学習の歩み メモ」(昭和五五年五月三日の日付がある。全集第一巻「私の研究授業一覧」のもとになったもの。)には、ご自身の国語単元学習への取り組みが克明に記されている。この記録(資料)は、私たちがこれから次々に新しい工夫をしていくことができる礎となっている。

 大空社のビデオ「大村はま創造の世界」の付録『大村はまアルバム』には、18の珠玉のことばが記されている。この選択に相談に乗ったこともあって、紹介させていただく。(一部略)

①ことばを育てることは/こころを育てること/人を育てること/教育そのものである。
②話しことばは、そのひびきのなかにこそ、その人の心をきく。
③一つのことばを知ることは一つの人生を知ること。
⑤「努力すれば、どんなことでもできる」そういうふうな言い方は、人間や人生の真実が見えていないんだな、と思います。
⑥子供にとって/何が幸せといって/一人でしっかり生きていける人間に/育てられることぐらい/幸せなことはない(以下略)
⑦たくさんのむだをしなければ、/ひとつの玉を拾うことはできないのです。
⑧「しかられ上手」というとおかしいかもしれませんが、いろいろなことをズバリと言っていただきやすい自分になっていること。
⑨優れたこどももいる、まだそれほどでもない子どももいて、どの子もその子なりの成長をしている。(中略)(優劣を)忘れて一生懸命やっていくところに救いがある。
⑭みんながみんな、自分の力のいっぱいに、安心して、焦らず、努めている姿。
⑮ありあわせ、持ち合わせの力で授業をしないことです。何かを加えて教室に入り、何かを得て教室を出る(ように)。
⑯深い感動があるからといって、それがそのとおりに人に言えるというものではない。
⑱「先生」そう呼ばれるのに足りるだけの人に。/「教え方」、「教え方」というが、「何」を教えるのか、その「何」がなければどう教えてもだめなのではないか。

次に苅谷夏子氏の『優劣のかなたにー大村はま六〇のことばー』(筑摩書房)から一部紹介したい。

○話しことばの世界にどういう自己開発の瞬間があるかを悟らせたい。
 話し合いは、ただの形式的な手続きではない。生きた人と人とが貴重な生命の一こまを使って打ち合っている時に、不思議な科学反応のようなものが一瞬起こって、一人でどんなに考えても出て来なかったなにかが、生まれてくる。それゆえ、一刻一刻変化していく話し合いの中で自らの考えを変化させながら、話し合いに積極的に参加するよう誘っていく。
○話し合いは悪い癖がつくと盛り返すことが不可能になる。テーマは線の太いものがよい。かげやくもりがなく、全員が異なる意見を持てるものがよい。たとえば、幾分平易な「短編に副題をつける、案を一人一つずつ出し、その中からよさそうなものを絞りこむ」などがよい。そして、黙っていられないという雰囲気をつくっていく。

最後に、『大村はま先生に学びて』(広島大学国語教育研究室、復刻版は渓水社)から府立高女で教わった山形静枝さんの「一番好きだった大村先生の国語」を掲げる。
「時間のはじめに、さあ、これからと思うと胸がふくらむようでした。引き締まった教室の空気の中を落ち着いた先生のお声が流れるー。そして、黒板には、今も目に残るきれいな白黒の文字、熱心で巧みな授業に流れにのって、ぐんぐんとその課の内容にひき込まれてゆく・・・。一時間が終わるごとに、私は何かがぎっしり胸の中に満ちるような気持ちでした。(中略)感じ易い年代に、本気で、これほど素直に人のことばを受け入れる体験をもたせていただいたことは、得がたい幸せと思っております。」

大村はま先生の歩まれた道には、私たち国語教育に携わる者の永遠に学んでいくべき実践と提言があふれている。    (文責・前田眞証)
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by ohmurakokugo | 2012-06-23 20:19
福岡大会 その4
大村はま記念国語教育の会 研究大会

           【福岡大会】 報告その4


〔研究〕
  「自己を育てる」教育の系譜            
      蘆田恵之助・川島治子・大村はまの国語教室 (抄)
                      橋本 暢夫 
 
                 
  大村はま先生の実践は、「人は一人では育たない」「人はお互いに誰かを育てながら生きている。なにより自分を育てながら生きているものです。」(「諏訪こそわが根」1958講演)との人間観と「師のないものは育たない」との教師教育観から成り立っている。
 この理念の基となった蘆田先生・川島先生の国語教室について考察していく。
                        ○
 大村はま先生の諏訪高女在職中、蘆田先生は関西・四国での教壇行脚の帰途、たびたび諏訪を訪れておられる。ここでは1934年春の大村教室における蘆田先生の授業をとりあげる。[資料は、鳴門教育大学・大村はま文庫所蔵の二千六十冊の学習記録による]

 この時の授業について、今井密子さんが、「昨日のこと」と題した作文を残している。「さあいよいよ三時間目だと思ふと胸がどきどきした。」に始まり、蘆田恵之助先生の風貌・言動から、学習者への想いの深さ誠実さを的確に描写したのち、「その中に先生が『文は何の為に書くか』と問をなされた。答へやうとしたが心の中でもやもやして居てどうしても口に出すことは出来なかつた。」「先生は『長い文でも短い文でも まごころに照して書かなければならぬ。そうでない文は、長い文でも駄目、短い文でもまごころに照して書いた文はよい。』とおつしやつた。私はほんたうにそうだとおもつた。…「『ではこれから皆さんの綴方を読んでもらひます。』とおつしやつて『茅野さん手を上げてください』。としちやんが手を上げた。…『河西さん』きよちやんが手を上げる。…『今井さん』と言はれた時、思はず足がふるえた。」…「としちやんがよむ。公園のお猿をまるで写したやうに書いてあつた。先生は『これにはまごころが現はれていないやうですけれど実は後にぼんやりとまごころがあるのです。』河西きよちやんがよむ。本をよんでそれを自分で実行しはじめたことを書いてあつた。先生は『本もこの位よめばよい』とおつしやつた。…」「いよいよ私の番だ。まるつきり夢中で[作品『ガラス拭き』]をよんだ。読み終ると、先生は黒板に道元禅師の『以絆為道心』と書いて下さつた。私のやうな下手な文をと思ふとありがたい気がした。…」(途中及び後略)

                         ○
 批正に取り上げられた作品は、Aお猿の写生[視ることは、愛することを示した作品]B読書し実行した作品[よむことは自己をよむこと]C私のくせ[自己をみつめる―そのもの]Dガラス拭き[絆が道心を育てた例]であり、いずれも蘆田先生が、その著『綴方十二ケ月』において、「自分の目で見よ」「自分の生活を見つめて心にひびいたものをとらえよ」と説かれた向きのものである。
 示範授業に先立ち今井密子さんは、「ああうれしい。今 昭和九年度の今井密子さんの「個人文集」には、十九の文章が集められており、その「一年間の文の跡」に「私は自分の一年間の文を読んでみて、一進一退を続けながらも、少しく進んだ自分を嬉しく思ひます。…私は自分でやつたことや見たことが、一番よく文に書けると思ひます。自然の景色を書く時、その書くべき自然に呑まれてどうしても書けません。もつともつと自分の心の目でよく見やうと思ひます。…」と記されている。大村先生はそのあとに「…頂いた大きい力を育てる仕事は、密子さんの大事な仕事です。…遠い遠いところを目指して進みませう。」と美しい赤ペンの字を添えておられる。

 大村はま先生は、『綴方十二ケ月』から学んだこととして、
ア文章を実際に書くこととともに、文章を集めることが大切にされている。
イ文章を集めることがどれほど文章を読ませることになるか、文章に親しませることになるかを深く考えた。
ウ「書き写す」ことの価値も強調されている。
エ自己評価が大切にされている。…自分の「綴り方の歴史」を考えて書くことなど、本当の自己評価であると思う。
エ文章の批評のしかたについては、その着眼点…など、数え切れないほど学ぶところがある。
オ「文が引き締まるのは」として、第一は「想」、第二は「文を短くきる」、第三には「起筆」と話されている…。等々をあげていられる。
 今井さんの「一年間の文の跡」には、蘆田先生から学ばれ、大村実践の基底となってきた「自己評価」の工夫を見いだすことができる。

                        ○
 川島治子先生には、1920年9月から、24年3月まで三年半、指導を受けられた。大村はま先生は、次のように語っていられる。
 「女学校にはいり[転校し]ましてから、たいへんすぐれた国語の先生につくようになりました。その先生は、垣内松三先生の理論、蘆田恵之助先生の実践を大正の時代に身をもって実践していらしたかたで、今思いますと、こんな新しいこともなさっていたと驚くことがあります…生徒一人一人の答え、発言を、合っている合っていないで処理されませんでした。何を言っても取りあげていただいた気がいたします。…諏訪高女に赴任しまして、しらずしらず先生のなさっていたことに似たような授業で出発をし…」(「教師の仕事」1973年講演)       
                        ○ 
「大村はま『十七歳の日記』」にみえる煩悶に対して、同じ寮に住まい、自室に招いて励ましたり、見守っておられた川島治子先生の助言は、「いいものをもっている人から、いい刺激をうけていくだけですね。」であった。[苅谷夏子『評伝大村はま』2010小学館 抜粋]すぐれた文章が書けない大村はまさんの悩みを、三ケ月後、作文「性格」を書かせることによって、克服させていかれた川島治子先生の指導は、まさに「自己を育てる教育」そのものである。
      
                        ○
 大村はま先生は、「よい学習記録は、自然と自己をみつめさせ、次への発展をもたらす」(『国語教室 おりおりの話』)と語っておられるように、学習のすべてを学習記録に収斂させていく国語教室を創造してこられた。報告では、学習者を「自立」させ、「自律」[自己を育てる]へと導かれた営みについても触れた。
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by ohmurakokugo | 2012-06-18 20:32
福岡大会 その3
大村はま記念国語教育の会 研究大会

       【福岡大会】



午後の実践研究発表は左の三人の方であった。
①飯盛直子(佐賀市立循誘小学校教諭)
   「言語感覚を伸ばす単元学習の試み」
②末成妙子(山口県立下関総合支援学校教諭)   
   「聞こえにくい子どもたちへのことばの指導―音楽教育の立場からー」
③井上孝志(福岡県立東筑高等学校教諭)
   「漢文の世界にひたる学習指導の一工夫―単元『老子』と語る、理想の社会―」

①飯盛直子教諭は、小一~中三までの「ふるさと単元」の教材開発を試み、小学校と中学校とがなだらかに結びつくカリキュラムを考案された。

②末成妙子教諭は、聞こえにくい子どもたちに音楽の楽しさを伝えるために、発音誘導サインを通して、発語練習を試みた歩みを報告された。これは私たち国語教師こそ学ばなければならないことであった。全国の特別支援児童生徒の音楽コンクールで金賞二回、銀賞二回受賞されたのも当然と思える。熱意あふれる発表であった。

③井上孝志教諭は、『老子』全八一章を読み直して一七章を選び出し、老子が何を評価しているのかをとらえた後、現代日本とは全く正反対の「小国寡民」というあり方を提案する老子に疑問を提出し、自ら老子になりかわって答え、小論文にさせるという単元構想を提案された。教師が教科書のもとになっている原典を自力で研究しておくと、授業が清新さを帯びてくる一典型と思われた。

 筑後地区で力を尽くしている平河力氏(みやま市立瀬高中教頭)の司会で、三人の発表者の思いが引き出される質疑応答になった。
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by ohmurakokugo | 2012-06-15 17:10
福岡大会 報告その2
大村はま記念国語教育の会研究大会
         【福岡大会】

〔研究2〕
「大村はま先生」をどう伝え受け継ぐか   

      鳴門教育大学 村井万里子

 私は発表題目を「大村はまを学ぶ基礎としての芦田恵之助及び言語理論―『綴方教授』及び朗読と『対話環』―」とした。これは大学で教員養成にたずさわるなかで20年来一貫して追究してきたことのエッセンスである。エッセンスには違いないが、熱心なすばらしい具体事象が次々に披瀝されるにちがいないこの研究会では、私の生中(なまなか)な「理論のことば」は浮いてしまうとわかっていた。窮しながらしかし資料二枚目までに書名を列挙した九冊の本を読み返しているうちに不思議な充実感を覚え、「ふるさとに帰ってお湯につかっているような温かい気持ち」になってきた。このことに驚きまた安堵し、客観的には準備が進んでいないのに、“よい発表ができる”と、根拠のない確信が湧いてきたのである。
 こうした結果、当日はとんでもない冒険をした。苅谷さんの発表が進んでいる間に次々にわき上がってきた「本当に話したいこと」を手元の小さな手帳に書き上げてその場で構成して話したのである。けれど資料を見てくださっていた聞き手にとっては一種の肩すかしである。二度としません、できません。お許しください。

 用意した発表資料のなかで部分的にであるが当日使えたのは、最終ページ「大村はまが芦田恵之助から受け継いだもの」九項目である。少し簡略にして再掲する。

①同一の到達点を一斉に目指すのでなく、一人一人の全力発揮をめざす(苅谷さんが『評伝』で強調された「ひたすら」である)。その基礎は「作文指導(綴り方)」にある。
②個によって集団を育て、集団によって個を育てる。交流(対話)を基本とする学習。
③子どもの興味関心を「意図的に」呼び起こして、学びを主体的にする。主体的な学びの
 過程のなかで「機を見て支援」する。
④子ども自身の伸びる力による「自然な指導系統」を開発・発見し、「発達の先回り」を
 する効果的な「迎える指導」を切りひらいた。(「手を引く」=てびき)
⑤言語活動(言語行為)のなかで「ことばの力」をみがく。機械的反復学習をしない。
⑥子どもと教師は「学ぶ仲間、研究仲間」(同志)である。
⑦教育話法の決め手は「間」にある。「間」によって考えさせる。
⑧教師による「音読・朗読」は、子どもにとっての第一教材である。みごとな「着語」。
⑨「書くこと」に修養を見いだし「自己学習力」を鍛え上げる。(「筆まめ」の精神)

 これら九項目すべてに共通しているものを表すのに、私は山口喜一郎の提案した「対話モデル」(1943)を「対話環」と名付けて使っている。その精神は、「マニュアルなぞり」の対極にある。「学んだことは三つあります」と言い始めて二つめが出なくなった小学生を追いかけて「すばらしいですよ」と褒めた大村はま先生は「型通り」のお礼でなく自分の言葉を話そうとした女の子の勇気に対して最高の賛辞を与えられたのだと思う。

 私(村井)が高校生にした話のあと、「謝辞」を述べてくれた男子生徒は残念ながら「用意した型通り」の挨拶だった。けれど1ヶ月後12月22日に高校から送られてきた「生徒の感想」には、「大震災で住民の命を救った“型通りでない町長さんの避難命令”の話がよくわかった。自分も型通りでない話をしたい」と述べた女子生徒の言葉があり、「この子には伝わった」と胸が熱くなった。「あ、顔が上がってきた」とその場で感じた手応えは、やはり裏切られなかった。「対話環」は、つながる瞬間を象徴するモデルなのである。
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by ohmurakokugo | 2012-06-14 17:30
さかのぼって
先週まで、しばらく、ホームページの新しい形式を探っていたため、更新が滞っていました。当面はこの形で継続していきくことにいたします。

その滞っていた間にお伝えすべきだったあれこれを、遅ればせながら掲載していきます。

まずは、福岡大会の内容を当日の日程に沿って。

平成23年度 
大村はま記念国語教育の会研究大会 
         【福岡大会】


〔研究1〕
ことばが育った実感
   大村教室の学習記録と「書く」ということ            苅谷夏子

 大村教室で学んだ中学生の日々、自分の中に思いもかけなかった新しい力が育っていることを感じ、嬉しく、誇らしかった。その自覚を助けた取り組みの一つが、学習記録であったと思う。学習記録を大切にすることと、自分(と自分のことば、自分の学び)を大切にすることは、非常に接近していたと感じる。書きながら育った、と言ってよい。そして振り返ると、学習記録にはたくさんの側面があり、そのどれもが重要な意味を持っていた。それを整理してみた。

○学習記録のいくつかの側面

1,とにかく自分がかかわったことがらを記録する
〈主体的な人として自然な/必然の営み〉
*本気で生きている人間の一種の存在証明。*記録に客観的な価値があるかどうかは、問う必要がない。*書かねば失われてしまうことを恐れるという面も。

2,学ぶ人・考える人として書いておくべきメモ
*すべての着想、疑問、反省、課題、調べる必要のあること。とりこぼしたら、失われてしまう契機。*取材という態度も含まれる。いつの日か、なにかに生かせるかも、という目。*「宝のような考えを書き留める」

3,考えるため、考えをすすめるために、書く
*「書くという、このからだの一部を使って、こみいった、めんどうな線を組み合わせていく仕事が、ふしぎに、心を一点に集めます。また、一つの考えが文字になって目に見えるものになりますと、その考えのいのちがはたらきだして、また次の考えが 引き出されていきます。そして、材木の中にきりをもみこんでいくように、深みへ深みへと、考えが伸びていきます。どうかすると、自分のこころのどこにもなかったような、すばらしい考えが鉛筆の先から生まれ出て、自分で自分の考えにうっとりしながらかみしめ直すようなことがあるでしょう。」            『やさしい国語教室』                                            *見やすさや記録としての完成度はほとんど重要でない。紙くずになってもいい。カードでも。

4,考えをまとめるために、全体の構成や関係性を意識しながら書く。〈試行錯誤の段階〉*この段階を書き残すことは、後で再検討の必要が生じたときに助けになる。*用紙のスタイルが重要な助けになることも多い。その工夫を覚えていく。*ある形で書いていくことが思考を助けることを覚えていく(進める/補助する/楽にする)→自分でその工夫ができるように

5,ひとまとまりの内容・考えをその時々にふさわしい形で書いておく。〈一般のノート〉
 *良い記録にするにはどうすればいいか、全体を俯瞰した結果を書くことになる。*いわゆる記録として、以降の仕事に役立つものにする。いわゆる「優れたノート」。仕事の共有や伝達、記憶の助け、といった実利を求める。

6,大きな枠組みの中で、当該の記録の意味や役割を意識し、ふさわしい扱いをする〈編集〉
 *学習記録の編集、目次、前書き、後書き、装丁などの作業がこれに当たる。*主体的な記録者でなければ、この仕事はうまく進まない。逆に、この仕事を大事に進めていくうちに、より主体的な当事者になっていく感じもある。

7,とにかく、書く力をつけるために書く。 *「大事なことは、これを書きながら育った、あなたの身についた力です。…書いたものは紙くずになっても、それを書いたあなたの身についた、書く力、考える力、まとめる力、そういうふうなものは、この紙に書かれた学習記録とは別の値うちとして、あなたのたいせつな生涯のもちものです。わたしがこの学習記録でいちばんねらっているのは、このことです。…筆無精でない、このことを皆さんの身につけたい。…そういうことは長い間、習慣になっていかないと、できないことなんです。」 全集12巻 

       
 ざっと考えてもこれだけの側面が、時々の局面に応じて用意され、強調されていたように思う。多くの教室でワークシートが広く使われているが、そこから子ども自ら飛び立って、自分のために書く人となるような視点・道筋があまり感じられないことが多い。学ぶ人、考える人が、ほかならぬ自分自身のために記録することを考える、そのためには大村教室の学習記録のこの多面性がもっと重視されていいのではないだろうか。
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by ohmurakokugo | 2012-06-13 22:58
たとえば こんなふうな
 6月17日の国語教育研究会(浦和)のために用意された資料は、たとえばこんなです。先日の金環日食を新聞各紙がどう伝えたか。当日の夕刊一面記事の一部を抜き出したものです。
 大村先生は、言語表現の学習のために、どれだけ深くつっこんでも安心な、明るく、手応えのある教材を常に求めていました。それはなかなか得難いもので、退職直前の夏の、隅田川花火の記事(公害等で中断されていたものが、復活したため、大きなニュースとなった)は、長年求めた続けた夢のような教材と喜んだものでした。
 先日の金環日食も、おそらく大村先生が現役であったら、放っておかない教材だろうと思われます。
 国語に関心のある方なら、これらの記事から、さまざまな興味深いことばの問題を発見なさることでしょう。大村教室では、とにかく、漠然と眺めないことが大事でした。最初はもちろん漠然と読み進めるしかないわけですが、読みつつ、さまざまな比較の観点を発想していく、そこをとらえることが大事でした。そして、じっくり比べる。

浦和の研究会では、これが資料の一つとなります。


平成二十四年度 第十四回国語教育研究会 資料            

金環日食はどう伝えられたか  
    2012年5月21日夕刊


 朝日新聞  
「金環見えた  関東173年ぶり」     
 光の輪が九州から東北まで駆け抜けた―。月が太陽に重なり、リングのように見える金環日食が21日、日本列島各地で見られた。国内で 観測されたのは、1987年9月23日の沖縄依頼25年ぶり。天気は各地で曇りがちだったが、雲の切れ間から、太陽と月のつかのまの競演を大勢の人が楽しんだ。・・・各地では、早朝から観測会が催されたほか、天候に左右されない航空機などでも観測が試みられた。雲の上の富士山頂では、吹雪のため見られず、5合目でも部分日食までだった。東京都中央区では一時的に日が差し込み、同7時33分、金環日食が見られた。群馬県高山村の県立ぐんま天文台でも晴天に恵まれ、同7時34~36分に表れた金環日食に集まった約480人が歓声をあげた。
 金環日食が次に日本で見られるのは・・・。

 読売新聞 
 「金環日食 列島興奮  平安以来の広域観測 」
 太陽の中心部が月に隠れて指輪のように輝く金環日食が21日朝、東北南部から九州南部の太平洋側にかけて観測された。国内では1989年の沖縄以来25年ぶり。これほど広範囲で金環日食が見られたのは、平安時代以来932年ぶりとなる。列島の南にある前線の影響で、太平洋側は曇りがちだったが、各地で観測会やツアーなどのイベントが開かれ、参加者たちは雲の切れ間から見えた太陽のリングに歓声を上げた。
     5分 神秘の天体ショー 本社機ルポ 眼下の雲に反射していた太陽の光がにわかに弱くなった。機体左側に欠け始めた太陽を視野に入れながら、・・・カメラを構える。・・・雲海の上に完成した黄金色のリングに思わず息をのんだ。太陽と月の織りなす神秘の天体ショーは約5分間続いた。

 毎日新聞  
「見えた天空の輪  金環日食 九州南部から東北南部 東京173年ぶり」
 太陽が月に隠されてリングのように輝いて見える「金環日食」が、21日午前7時半ごろ、九州南部から東北南部までの太平洋側の広い範囲で起きた。東京(島しょ部除く)では173年ぶり、大阪では282年ぶり、名古屋では932年ぶり、日本全体では87年に沖縄で観測されて以来25年ぶりとなった。東京では午前7時32分から約5分間、雲の切れ間から細いリング状になった太陽が姿を見せた。金環日食にならなかった地域でも、太陽が大きく欠ける部分日食になり、日本の多くの人が「世紀の天体ショー」に注目する朝となった。
     機内から嘆息 黄金色の輪が琵琶湖の上に輝いて見えた。・・・リングが見えると、機内の乗客から次々とため息とも歓声ともつかない声が漏れた。・・・私も日食グラスをかざす。すると「リング」はすぐそこにあった。白く見えると想像してたのに金色だ。たった数十秒だが、その美しさに息をのんだ。

 東京新聞 
「金のリング 列島結ぶ   932年ぶり広範囲の金環日食 」     
 太平洋側を中心とした日本の広い範囲で21日朝、太陽の中心部が月に隠され、細いリングのようになる金環日食となった。日本では1987年の沖縄以来25年ぶりで、今回のように広範囲で見られるのは932年ぶり。首都圏では173年ぶり。東京、名古屋、大阪などの大都市を含む史上まれな天体ショーとなった。
     ・・・曇りがちな天気のもと、各地で観測した人たちから拍手と歓声が上がった。・・・東京都心でも薄曇りの空に細いリングがくっきり。日食グラスをかざして空を見上げる人たちや、電車の窓から目を細めて見入る通勤客の姿もあった。・・・日本各地では通学時間帯に重なることから、多くの学校で登校時間を変更するなどの対策を取った。
 ガリレオ・ガリレイも 観察で網膜症     
 金環日食などの日食はいまや人間にとって予測可能な天体ショーとなったが、かつては「凶事の前触れ」などと恐れられ、歴史の逸話と共に語られてきた。日本最古の日食の記録とされるのが、日本書紀にある推古天皇(554~628)の崩御直前の記述だ・・・

 日本経済新聞  
「太陽のリング 金環日食、各地で 国内25年ぶり」     
 太陽の中心部が月に隠れてリング状になる「金環日食」が21日午前7時半ごろ、本州から九州にかけて太平洋側で観測された。日本の金環日食は1987年の沖縄以来25年ぶりで、広範囲で起きたのは932年ぶり。各地で観測会が催され、神秘的な天体ショーに歓声が上がった。
 ・・・気象庁などによると、この日は日本列島の上空に雲が広がり、地域によっては小雨もちらつく空模様だったが、多くの地域で雲の切れ間などから太陽が観測できた。
 国立天文台によると、次に今回のような規模で金環日食が起きるのは、300年後の2312年。
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by ohmurakokugo | 2012-06-09 10:38
浦和での国語研究会 開催まで10日
平成24年度第14回
国語教育研究会のご案内
 

 大村先生が亡くなられて七年が過ぎた。お元気な声や姿が昨日のことのように思い起こされる。

 この会を主催する「南部国語の会」は、ひと言で言うと、よい授業をしたい、と切実に願う教師の集まりである。定例会を持ち、大村先生、倉澤先生に教えていただいてきた。命名は埼玉大学名誉教授の故井上敏夫先生がなさった。小・中学校・高等学校や大学で教師をしている人、行政職の人、学生や今は現職を退いた人たちも参加している。教えている人、教られたことのある人たちの会である。

 「よい授業」にするためには、このことばから一歩踏み出し、具体的な授業を探求しなければならない。さまざまな立場の会員が、経験からの知恵を出し、語り合う。大村先生はどのような力をつけようとなさっておられたのであろうか。そのためにはどのようなテキストを使い、「てだて」や「てびき」はどうしたらよいのか。それらのことを、大村はまの全集から探ったり、直接教室で教わった苅谷夏子さんに、「そんなときはどうでした」と授業の様子や、大村先生のお考えを具体的に伺い、授業の案を練り直したり、これからの授業を考えたりしている。これらのことをもとに、今回の会は、「言語活動の充実」をめざした授業づくりをテーマとし、山下直文部科学省教科所調査官の司会でご指導の先生方をお迎えし小・中・高の提案協議がなされる。「証言」では、水戸部修三文部科学省教科調査官と、大村教室の「言語活動の充実」の具体に迫る。

 ぜひ、お誘いあわせの上、お出かけください。

研究主題
ことばの学び手が育つ国語教育の創造
―豊かな言語活動が拓く単元学習の展開― 
〈「言語活動の充実」を目指した授業づくり)

  主催 日本国語教育学会研究部・南部国語の会
  共催 大村はま記念国語教育の会
  日時 平成24年6月17日(日)受付9時~  
  会場 浦和コミュニティセンター(浦和パルコ9階)

日程及び内容

開会9時20分~ 全体司会檜垣幸久(三郷市教委)
挨拶
 日本国語教育学会会長      湊  吉正 
 埼玉県国語教育研究会会長   田嶋  章
 埼玉県高等学校国語科教育研究会会長  小林 一郎
講演Ⅰ 「言語素養と言語態勢」
  湊吉正(日本国語教育学会会長)
研究Ⅰ 研究協議
  司会 山下 直 (文部科学省教科書調査官)
◇小学校   「日常生活に生きる短歌・俳句の授業づくり」
   淺井大貴(埼玉大学教育学部附属小学校)
  指導   今村久二(日本国語教育学会小学校部会長)
       大越和孝(東京家政大学教授)
◇中学校  「古典の世界に親しむ ―小学校からの古典学習を受けて― 」
   三浦直行(埼玉大学教育学部附属中学校)
  指導  中村敏男(北本市立東中学校長)
       安居總子(日本国語教育学会中学校部会長)
◇高等学校 「話し合う力を育む国語単元学習の展開」
   初谷和行(筑波大学附属坂戸高等学校)
  指導   山下直 (文部科学省教科書調査官)
       石塚秀雄(日本教育大学院大学教授)
※全体会・分科会・全体会の順に進行します。


13時~ 午後の部

講演Ⅱ「よりよい『言語活動』のあり方を考える」
  大越和孝(東京家政大学教授)

シンポジウム「言語活動の充実」の具体に迫る」
 講演Ⅲ(基調講演)
  水戸部修治(文部科学省 教科調査官)
研究Ⅱ 証言「元生徒が語る大村教室」  
   ―水戸部教科調査官と「言語活動の充実」の具体に迫る―
  水戸部修治(文部科学省 教科調査官)
  苅谷夏子 (本会事務局長)
  内海まゆみ(東京都目黒区立第八中学校)
 司会 中山厚子(本会常任理事)

講演Ⅳ 「お月さまとウサギ」   桑原 隆 (早稲田大学教授)
展望   甲斐雄一郎(筑波大学教授)

閉会 17時
参加費 3000円(当日受付にて)
懇親会を17:30から予定しています。
当日の研究会の書き起こしをした研究紀要をご希望の方に、実費(送料込)2000円でお分けしています。事務局まで、お申し込みください。
申込先 
☆ 南部国語の会・国語教育研究会事務局
       中山厚子方  048・831・4237
☆ 大村はま記念国語教育の会事務局
Email hokokugo@gmail.com
 当日受付も歓迎です。お誘い合わせの上、ご参加ください。お待ちしています。
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by ohmurakokugo | 2012-06-08 15:55
  

大村はま記念国語教育の会のネット版会報。国語教師・大村はまについて、知り、考え、試し、自分の力にしたいと集まった会。ご入会を歓迎します。お問い合わせは hokokugo@gmail.com まで。
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