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大村はまのことば ―この道を行けば―
 今は程度が低いけれども、この道を行けば必ず一本立ちできる、ひとりで生きていける、そういう豊かな言語を使っていく人間になる道へ乗っているかどうか、ということを見きわめていきたいと思います。                       
                
                               『大村はま講演集 下』より
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by ohmurakokugo | 2011-07-11 19:58
大村はまのことば ―よく見、よく聞く―
 見たことを忘れないようにメモしておく、それはもちろんよいことですが、あまり、書くことのほうに力を入れ過ぎないように、というのが、私の忠告です。なにより、見ること、感じることがたいせつだということは、わかっているでしょう。せっかくその場に行ったのですから、よく見、よく聞く。細かいことだけでなく、全体の持っている、あるいは、全体を流れているもの、それを、からだじゅうで、受け取る、感じ取ることが第一だと思います。

                            『続 やさしい国語教室』より
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by ohmurakokugo | 2011-07-08 06:30
大村はまのことば  ―感動のない教室というものは―
 みなさんは、これから何十年と先生をなさりながら、次の時代を生き抜く人をつくらなければなりません。常に自分の子どもたちに「ほんとうに学ぶこと」を教え、教師である自分を越えて行けるような人に育てるべきです。そのためには、「読んできましたか」なんていうのは、もってのほかです。つまり感動のない教室というものは、何も建設しないということを肝に銘じてほしいと思うんです。

                          『教えるということ』より







 
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by ohmurakokugo | 2011-07-05 20:56
大村はまのことば  ―何ができたことになるのか―
AならAという問題ができたなら、それは、何ができたことになるのか、国語のどういう学力があるということになるのかがわからなければならない。・・・そういうはっきりした目標なしのテストは、その結果がよくてもわるくても、子どものためにも先生のためにもならないと思うのです。

                  『大村はまの国語教室 2』より
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by ohmurakokugo | 2011-07-04 23:59
大村はまのことば ―そのつどに、初々しく―
 前にあったこと、それを、経験として心に積むことはもちろん大切で、それによって、世を生きる、人と交わる知恵も磨かれるのであるが、少年を育てようとする者は、その知恵はその知恵として心底深く蔵しながら、それを全部忘れて、日ごとに、そのつどに、初々しく、少年にでも、出来事にでも接する、少なくともそう見える、そう見てもらえる技術を持たなければならないと思った。・・・早合点による誤解は、少年を相手にする場合、いくら気をつけても足りないところであると思う。

                     『大村はま 教室に学ぶ』より



大村はま記念国語教育の会 事務局
hokokugo@gmail.com

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by ohmurakokugo | 2011-07-02 09:13
大村はまのことば  ―本領に生きているとき―
 やはり勉強というものが子どもの仕事でしょう。そのほんとうの仕事のなかで一対一に接しえないと、困るのではないか思います。…勉強しているその最中に、つまり、お互いの、本領に生きている、そのいちばん大事な場面において対話していかないといけない。…授業のなかで、本気で楽しい話やそういう接し方ができないのだったら、別個に設けた生活指導時間や学活の時間などにどういうことをしても、それはすべて第二義的なものだと思います。生徒を救うに足りないと思います。

                      『大村はまの国語教室 3』



大村はま記念国語教育の会 事務局
 hokokugo@gmail.com

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by ohmurakokugo | 2011-07-01 10:52
大村はまのことば  ―高いもの―
 「アナウンサーの話すのをね、ニュースでもいいですよ、聞いてごらんなさい。はじめはね、たいしたことないな、自分とそう違わないなって、思うものですよ。それが、だんだん聞いていると、自分とは、とっても違う、たいへんうまい、と目がさめたように感じることがあるでしょう。この違いに、ほんとうに気がついたとき、それが、あなたが、そのアナウンサーとあまり違わないレベルにとどいた時ですよ」(NHK秋山さんの話)
 自分が高くならないと、高いものは、わからないもののようですね。


                         『やさしい国語教室』より



自分が高くならないと、高いものは、わからない・・・。怖いことばであるし、途方に暮れるようなことばでもあるが、だからこそ、励みにもなることばではないか。
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by ohmurakokugo | 2011-06-28 21:55
大村はまのことば ―なにを心配するか―
 ことばが悪いとよく人が言うでしょう。悪いというのは、そんなに心配しなくても、大人になって、赤恥かいて、たいてい直っていきます。ですからそんなに先生が、箸の上げ下ろしみたいにことばづかいを直したりする必要はないと思うのです。その証拠に、ここに若い男の先生がいて、私がいたとするでしょう。そうするとここへきた子どもは、絶対大丈夫、その若い先生と私とで、ことばづかいはきちっと違っています。そんなに利口だし、そんなに機敏なんですから、ことばづかいなどと心配しなくても、普通の人は大丈夫だと思っています。
 そうでなくて、本当にいやだと思うのは、心配に思うのは、ことばの貧しさです。表現することばが貧しいことです。これはほんとうに、人間の貧しさを表しているのではないでしょうか。考え方が浅くなったり、感じ方が鈍くなったり、荒くなったり、そういうことになっているしるしだと思うのです。


                        『教室をいきいきと』より



大村はま記念国語教育の会 事務局
 hokokugo@gmail.com

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by ohmurakokugo | 2011-06-27 22:02
大村はまのことば ―あの時期には―
 あの時期には、しゃれたことばが大好きなんです。よくわからないけれども、何かきりっとしたようなしゃれたことばで、得体が知れないけれども、きついことば、そういうのが好きなんです。それをどこかで聞き覚えると使ってみるのですが、使ってみると誰かが拍手するのです。そうするとますますうれしくなる。それは担任の先生をひっくり返すほどひどいことばであったとか、そういうことがあります。

                    『国語教室の実際』渓水社 
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by ohmurakokugo | 2011-06-24 16:54
大村はまのことば ―なまなましいところをわからせる―
 なま身の先生が、そこに同じ呼吸をしながら生徒といるということのいちばんの効果は、なまなましいところをわからせることではないか

                        『大村はまの国語教室 2』小学館



こんどの日曜は、山形市で通称「さくらんぼ学会」で知られる研究会が開かれる。今回で第二十七回となるこの会には、長く大村はま先生、倉沢栄吉先生がそろってご指導に赴き続けた。今年も、さくらんぼは熟し、研究会の準備も進んでいる。お問い合わせなどは、本会事務局まで。

第二十七回 日本国語教育学会山形県支部研究会
【主催】日本国語教育学会山形県支部
【共催】大村はま記念国語教育の会  日本国語教育学会
【日時】6月26日(日)午後1時~5時
【会場】山形市霞城公民館・総合学習センター
                          
◇次  第  
○挨 拶 鈴木 栄三(山形県支部会長)
倉澤 栄吉(本会会長)           
○実践発表 「活用力を育てる国語学習の展開」
清野真美子(山形大学附属小学校)
井上麻美子(長井市立平野小学校)
池田 真弓(大石田市立大石田中学校)  
○全員参加による実践発表についてのワークショップと報告
○実践発表、ワークショップで出された課題についての指導・助言
佐藤昌彦(山形県指導主事)江川久美子(作矢沢小教頭) 
加藤咲子(村山教育事務所指導主事)
○「東日本大震災から何をいかに学ぶか」
片桐理子(山形市立宮浦小校長)西村仁美(山形市立高楯中校長)平塚志信(山形県立谷地高)
助言者・苅谷夏子(本会事務局長)阿部和久(山形県教委教育次長)

 会費・資料代は二千円。当日参加も可


大村はま記念国語教育の会事務局 
hokokugo@gmail.com 

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by ohmurakokugo | 2011-06-21 16:25
  

大村はま記念国語教育の会のネット版会報。国語教師・大村はまについて、知り、考え、試し、自分の力にしたいと集まった会。ご入会を歓迎します。お問い合わせは hokokugo@gmail.com まで。
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