福岡大会 その4
大村はま記念国語教育の会 研究大会

           【福岡大会】 報告その4


〔研究〕
  「自己を育てる」教育の系譜            
      蘆田恵之助・川島治子・大村はまの国語教室 (抄)
                      橋本 暢夫 
 
                 
  大村はま先生の実践は、「人は一人では育たない」「人はお互いに誰かを育てながら生きている。なにより自分を育てながら生きているものです。」(「諏訪こそわが根」1958講演)との人間観と「師のないものは育たない」との教師教育観から成り立っている。
 この理念の基となった蘆田先生・川島先生の国語教室について考察していく。
                        ○
 大村はま先生の諏訪高女在職中、蘆田先生は関西・四国での教壇行脚の帰途、たびたび諏訪を訪れておられる。ここでは1934年春の大村教室における蘆田先生の授業をとりあげる。[資料は、鳴門教育大学・大村はま文庫所蔵の二千六十冊の学習記録による]

 この時の授業について、今井密子さんが、「昨日のこと」と題した作文を残している。「さあいよいよ三時間目だと思ふと胸がどきどきした。」に始まり、蘆田恵之助先生の風貌・言動から、学習者への想いの深さ誠実さを的確に描写したのち、「その中に先生が『文は何の為に書くか』と問をなされた。答へやうとしたが心の中でもやもやして居てどうしても口に出すことは出来なかつた。」「先生は『長い文でも短い文でも まごころに照して書かなければならぬ。そうでない文は、長い文でも駄目、短い文でもまごころに照して書いた文はよい。』とおつしやつた。私はほんたうにそうだとおもつた。…「『ではこれから皆さんの綴方を読んでもらひます。』とおつしやつて『茅野さん手を上げてください』。としちやんが手を上げた。…『河西さん』きよちやんが手を上げる。…『今井さん』と言はれた時、思はず足がふるえた。」…「としちやんがよむ。公園のお猿をまるで写したやうに書いてあつた。先生は『これにはまごころが現はれていないやうですけれど実は後にぼんやりとまごころがあるのです。』河西きよちやんがよむ。本をよんでそれを自分で実行しはじめたことを書いてあつた。先生は『本もこの位よめばよい』とおつしやつた。…」「いよいよ私の番だ。まるつきり夢中で[作品『ガラス拭き』]をよんだ。読み終ると、先生は黒板に道元禅師の『以絆為道心』と書いて下さつた。私のやうな下手な文をと思ふとありがたい気がした。…」(途中及び後略)

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 批正に取り上げられた作品は、Aお猿の写生[視ることは、愛することを示した作品]B読書し実行した作品[よむことは自己をよむこと]C私のくせ[自己をみつめる―そのもの]Dガラス拭き[絆が道心を育てた例]であり、いずれも蘆田先生が、その著『綴方十二ケ月』において、「自分の目で見よ」「自分の生活を見つめて心にひびいたものをとらえよ」と説かれた向きのものである。
 示範授業に先立ち今井密子さんは、「ああうれしい。今 昭和九年度の今井密子さんの「個人文集」には、十九の文章が集められており、その「一年間の文の跡」に「私は自分の一年間の文を読んでみて、一進一退を続けながらも、少しく進んだ自分を嬉しく思ひます。…私は自分でやつたことや見たことが、一番よく文に書けると思ひます。自然の景色を書く時、その書くべき自然に呑まれてどうしても書けません。もつともつと自分の心の目でよく見やうと思ひます。…」と記されている。大村先生はそのあとに「…頂いた大きい力を育てる仕事は、密子さんの大事な仕事です。…遠い遠いところを目指して進みませう。」と美しい赤ペンの字を添えておられる。

 大村はま先生は、『綴方十二ケ月』から学んだこととして、
ア文章を実際に書くこととともに、文章を集めることが大切にされている。
イ文章を集めることがどれほど文章を読ませることになるか、文章に親しませることになるかを深く考えた。
ウ「書き写す」ことの価値も強調されている。
エ自己評価が大切にされている。…自分の「綴り方の歴史」を考えて書くことなど、本当の自己評価であると思う。
エ文章の批評のしかたについては、その着眼点…など、数え切れないほど学ぶところがある。
オ「文が引き締まるのは」として、第一は「想」、第二は「文を短くきる」、第三には「起筆」と話されている…。等々をあげていられる。
 今井さんの「一年間の文の跡」には、蘆田先生から学ばれ、大村実践の基底となってきた「自己評価」の工夫を見いだすことができる。

                        ○
 川島治子先生には、1920年9月から、24年3月まで三年半、指導を受けられた。大村はま先生は、次のように語っていられる。
 「女学校にはいり[転校し]ましてから、たいへんすぐれた国語の先生につくようになりました。その先生は、垣内松三先生の理論、蘆田恵之助先生の実践を大正の時代に身をもって実践していらしたかたで、今思いますと、こんな新しいこともなさっていたと驚くことがあります…生徒一人一人の答え、発言を、合っている合っていないで処理されませんでした。何を言っても取りあげていただいた気がいたします。…諏訪高女に赴任しまして、しらずしらず先生のなさっていたことに似たような授業で出発をし…」(「教師の仕事」1973年講演)       
                        ○ 
「大村はま『十七歳の日記』」にみえる煩悶に対して、同じ寮に住まい、自室に招いて励ましたり、見守っておられた川島治子先生の助言は、「いいものをもっている人から、いい刺激をうけていくだけですね。」であった。[苅谷夏子『評伝大村はま』2010小学館 抜粋]すぐれた文章が書けない大村はまさんの悩みを、三ケ月後、作文「性格」を書かせることによって、克服させていかれた川島治子先生の指導は、まさに「自己を育てる教育」そのものである。
      
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 大村はま先生は、「よい学習記録は、自然と自己をみつめさせ、次への発展をもたらす」(『国語教室 おりおりの話』)と語っておられるように、学習のすべてを学習記録に収斂させていく国語教室を創造してこられた。報告では、学習者を「自立」させ、「自律」[自己を育てる]へと導かれた営みについても触れた。
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by ohmurakokugo | 2012-06-18 20:32

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