今日のことばは、「大村はま記念国語教育の会」の倉沢栄吉会長のことばです。先月、お元気に100歳の誕生日を迎えられました。
授業というものは生きたものであり、行ってみれば立体的なものです。それを活字という形に置きかえてしまうと、大村教室の生き生きとした姿はお伝えできないと私は思います。テレビを使ってももちろんだめですけれども、この誌面では、残念ながら絵もなければ、録音テープもありません。あるのはただ活字だけです。だから、これをお読みになるときは、まるで大村教室の授業を目で見るように、立体化してお読みいただきたい。それは実にむずかしいことですけれども、たとえば、この記録の中に「間」という言葉が使ってあります。これはただ子どもが黙っているということではありません。これは生徒たちが考えているところであり、指導者が考えているところなんです。
『大村はま国語教室 第10巻』筑摩書房
授業というものは生きたものであり、行ってみれば立体的なものです。それを活字という形に置きかえてしまうと、大村教室の生き生きとした姿はお伝えできないと私は思います。テレビを使ってももちろんだめですけれども、この誌面では、残念ながら絵もなければ、録音テープもありません。あるのはただ活字だけです。だから、これをお読みになるときは、まるで大村教室の授業を目で見るように、立体化してお読みいただきたい。それは実にむずかしいことですけれども、たとえば、この記録の中に「間」という言葉が使ってあります。これはただ子どもが黙っているということではありません。これは生徒たちが考えているところであり、指導者が考えているところなんです。
『大村はま国語教室 第10巻』筑摩書房
by ohmurakokugo
| 2011-02-21 09:49