埼玉大会から
埼玉大会の「花」は、藤原咲子さんでした。

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「流れる星は生きている」という昭和二十年代のベストセラーの作家、藤原ていは、諏訪高等女学校での大村はまの生徒でした。当時、諏訪高女は村から毎年一人か二人しか進学しない、諏訪近隣の人たちが憧れもし、尊敬もする、そういう学校でした。たった12歳で家を離れ、寮で暮らすようになったていは、家を恋しがり、人付き合いにも疲れ、学校を辞めたいとさえ思います。しかし、はまの授業に出会って、ていの学校生活ががらりと意味を変えます。大村先生に認めてほしくて、ていは周囲が驚くほど、勉強に打ち込んでいきます。

当時、作文という授業が週に一回ありました。生徒たちは、率直な、また勢いのある文章を書きつづっていきます。大村は連日、深夜まで作文を読み、細い赤ペンで欄外にことばを書き込んでいきます。それは、書いた生徒の心に寄り添うような、寄り添いつつ背を押して、一段高い台の上に一緒に立つような、そういう書き込みでした。生徒は先生の赤い文字が早く読みたくて、作文が返されるのを楽しみにしていました。

ていも、もちろんそうです。ていと大村はまとの間を作文のお帖面が行き来し、ていの綴ることばを、ていと大村とが額を集めて覗き込み、雛を温めるような指導がなされます。

先年、その赤字でいっぱいのお帖面が、ていの実家の蔵から見つかった、というのです。

埼玉大会で、ていの長女、咲子さんは、12歳だった母の作文と、それに添えられた大村はまのことばを、一つ一つ、私たちに読み上げてくださいました。ていさんのまっすぐな視線が印象的な作文に、大村の温かな共感と優れた指針とが見事に添えられていました。聞いても、聞いても飽きない、作文と作文指導という名の、一つの作品のようでした。そして、ていの作文が徐々に深く、広くなっていく。成長していくのが、わかりました。

藤原ていさんは数年前から自宅で療養生活をなさっていて、咲子さんが訪ねてももう会話はできないのだそうです。
けれども、咲子さんは訪れるたびに、おかあさんの手をとって、「ほら、大村はま先生が、がんばれ、がんばれ、と言ってるよ」と言うのだそうです。
すると、ていさんは、頬を赤らめるのだそうです。

七十年前の先生の名を聞いて、頬が赤くなる。みなさん、そういう教師であるでしょうか。ありたいですね。・・・という言葉で、咲子さんの講演は終わりました。
聞く私たちの頬も、不思議な熱で赤くなりました。

藤原咲子さんは現在、ていさんの小さいころからの日記やお帖面を素材に、新著を執筆中だそうです。早く文字になったものを読みたいものです。


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by ohmurakokugo | 2010-11-21 20:54

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